2011年12月29日木曜日

日本共産党の浸透を許したマスコミと教育の責任

ここ十年、日本共産党は力を失っています。
若い世代が日本共産党を支持しないだけでなく、逆にきびしく批判するようになったので、後継者が育たず、ますます衰退していくことが予想されます。
このような報道すらあります。
余命3年か?日本共産党が危ない
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/9556
しかし、マスコミと教育機関だけは、日本共産党の本質に気づかず、あるいは知っていながら、相変わらずのようです。

おそらく、マスコミが日本共産党の姿を正しく報道していれば、また、学校が正しい歴史を教えていれば、日本共産党はもっと早く力を失っていたのではないでしょうか。マスコミと教育の罪は重いです。

若い人ではなく、相当な紳士の方ですら、以下の歴史的事実を知らない人がいるのです。

なお、以下の説明は、梗概を説明するためのもので、詳細な史実ではありません。
終戦後、合法化された日本共産党は急速に勢力を拡大し、多くの民間労組で実権を握り、衆議院総選挙(1949年1月)で35議席を獲得するまでになりました。
しかし、当時の日本共産党が採用していた「平和的手段で社会主義革命を起こす理論(平和革命論・野坂理論)」を、コミンフォルムが「日本は暴力革命の準備をすべきだ」と批判しました。コミンフォルムとは、世界の共産主義政党の上部団体であり、指導者はスターリンです。つまり、当時の日本共産党はソ連の日本支社だったのです。
そして、指令は受け入れられないする派(所感派。当時の執行部はこちらでした)と、ソ連の指示に従うべきとする派(国際派。宮本顕治さんはこちらでした)等の分裂がありましたが、結局、日本共産党は地下に潜り、暴力革命に走り、無数の犯罪を犯し、1951年12月の印藤巡査殺害事件(練馬事件)・1952年1月の白鳥警部射殺事件(白鳥事件)のように殺人事件まで起こしてしまいました。
ついには血のメーデー事件(1952年5月)と呼ばれる暴力革命の前哨戦まで行いました。使用禁止になっていた皇居前広場に侵入するために、左翼勢力のメーデー隊が警備にあたる警官に次々と暴力をふるい、拳銃を盗みとり、警察官832人が負傷(危篤8名、重症71名)。
その結果、5ヶ月後の1952年10月の総選挙では国民に激しい審判がくだされ、議席は0になりました。

要約すれば、日本共産党はソ連の命令を受けて、暴力革命に走り、殺人まで犯し、国民に愛想をつかされて全議席を失ったのです。そんな事は常識と思われる方が多いかもしれません。しかし、このような歴史的事実を知らない人が未だにいるのです。
何故なら、マスコミや教科書は、この時期を「アメリカの占領政策が変わり、日本の反共の防波堤として位置づけた。そしてレッド・パージが行われ、多くの共産党員やその同調者が公職追放された」と、日本共産党をかわいそうな犠牲者のように扱ってきたからです。そして、共産党弾圧のために、権力が仕組んだ謀略事件として、下山・三鷹・松川事件を紹介したり、そういう事には熱心です。これは今でも続いています。
こういう報道ばかりをマスコミは流し、史実を教科書が記載したので、「アメリカは反共を口実に、人民の味方だった共産党を失脚させるために、卑劣な謀略を行った。共産党はかわいそうだ」と信じこむようになった人がどれだけいたでしょうか。

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